私の人生に影響を与えてくれた人は、なんといっても両親だと思います。その中で、いつも私の身の周りの世話をしてくれていた母親からの影響が大きかったです。
私は六人兄弟の長男として、家族八人で子供時代を過ごしました。裕福ではなかったけれども、何不自由なく温かな環境のもと、伸び伸びと育てられました。元来我ままだった私は、長男としてなすべきこともそっちのけで、目の前の遊びに思いっきり集中する毎日でした。
小学校では、普通の子供がやる遊びでは満足できなくて、近所の畑を荒らしたり、授業中にクラスの友だちと、学校をこっそりぬけ出して銭湯へ行ったりなど、たくさん悪いことをしました。母の学校への呼び出しも一回や二回ではなく、たびたび呼び出されていました。それでも母は優しくおおらかな人だったので、少々のことでは「あーあ、またこの子は何かしでかしたなあ、しかたないネ―』ぐらいで、たいがいは許してくれました。
しかし、母は人間として、人の道として少しでも曲がっていることを私がしたり、思ったりした時は、妥協することなく私の体をひっぱたいて、雨の日でも思わず外に逃げてしまう程でした。そして家の中へ入ることがとても恐ろしくて、普段はあんなに優しい母が鬼のように思えて、しばらくは泣き通しで自分のしたことを後悔するばかりでした。
また、ある時は、気の弱い友だちのオモチャを無理矢理借りたことが発覚し、大雪の夜、母と一緒に、その友だちの家へオモチャを返しに行ったこともありました。
私は今、四十歳という人生の折り返し地点に来ています。素直でまっすぐな性格である私は、こうして育てられた両親、特に母の性格を多く引き継いでいる気もしています。ありがたく、幸せなことです。
おおらかに育った分、気配りベタでこれまで多くの人々に迷惑をかけてきたでしょう。いや、この先もかけ続けていくことでしょう。
けれどもこれからは、両親から私への隠されたメッセージである「さわやかな長男たれ!」の言葉を胸に、少しでも社会の役に立てる人間になれるようにコツコツやらせてもらおうと思います。
けっして図太くはない性格の私ですが、これまた母譲りのしぶとさで、周りの人々と仲良く温かく前進させてもらいます。
みなさんも印象に残っている母親との思い出はありますか?
執筆者:石田さん
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