私の母は、私が子供の頃から家を留守にしていることが多く、自分の理想とする母親像からはかけ離れた想いで、私は母をみつめ続けていました
友だちの母親と比較しては、不満の心をどんどんと膨らませながら成長しました
そんな私も十年前に結婚して子供を授かりました。
でも、妊娠中はかなり悪阻がひどく、親元に戻って数ヶ月を過ごすことになりました。
母は私の予想に反して、愛情いっぱいに接してくれ、母のお陰で辛い数ヶ月間を乗り越えることができ、無事に出産できました。
その時は、母に感謝はしたものの、しばらくすると、またフツフツと母に対しての不満がつのってきました。
そんな折、中学時代の友人と、遠距離のメール交換が始まりました。
メールが続いてしばらくした頃、その友人が小二の時に母親と死別していることを知りました。
それを知った瞬間、母に対しての色々な想いや、さまざまな出来事が心を駆け巡りました。
母親に何もしてもらっていないわけではなかったのに、不満を抱き続けてきた自分、母親を早くに亡くして幼心に辛かったであろう友の心情など…。
そして、自分の望むような手のかけ方をしてもらえなかったことと、母が亡くなって何もしてもらえなかったこととの、大きな違いに初めて気付いたのでした。
今、自分は子供を持ち、子供に対しての親の気持ちを少しは理解できるようになりつつあります。
どんなに子供を愛しく思っていても、その時々の情況・環境によっては、できないこともあるのだと…。
最近、母が自分の胸中を話してくれました。
「ずっとあなたを信頼していた」と…。
私は最近では、心のどこかで、親からは与えてもらうのが当然だと思い込み、自分のことしか考えず、親のことを思いやる心がなかった自分に、ようやく気が付くことができたと思えるようになってきています
親からの贈り物
それは、私をこの世に誕生させてくれ、そして生きてこの私に誰よりも深い愛情という想いを毎日かけ続けてくれ、そして今、私に感謝という心を教えてくれたことではないかと思っています。
(引用元:HAPPY ONE Vol.266 P24-25)
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