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カテゴリー:うちのおかん
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悪ガキだった自分を変えた、肝っ玉かあちゃんの教育法‐『おおらかで優しい母』
私の人生に影響を与えてくれた人は、なんといっても両親だと思います。その中で、いつも私の身の周りの世話をしてくれていた母親からの影響が大きかったです。 私は六人兄弟の長男として、家族八人で子供時代を過ごしました。裕福… -
私が”人生疲れた”と思った時に心を癒す母との思い出 – 『憧れの人、尊敬する母へ』
私の母は、待ちに待ってやっと出来た女児でした。 とても可愛がられ、大切に育てられたのです。 だからと言って、わがまま放題ではなく、躾も厳しかったようです。 性格は、苦労して人生を渡ってきた祖父に似て、口… -
母親の『理想の教育』はコレ?私の人生を支えてくれる魔法の言葉『だいじょうぶだよ!』
私の母は、何でもテキパキできるという母ではなく、むしろ一つ一つものごとを進め、一日一日を大切に過ごしているような母です。 そんな母に、私はまだあまえているのでしょう。 現在でも、やっぱり自分が落ちこんでしまっ… -
子どもにとって母親とは?母親 “職” という宝物に『ありがとう』 〜 かけがえのない存在に今日も…
今となってはかなり良くなってきましたが、うちの次男はアトピーがひどく、ちょっと退屈になってくると今までの癖もあり、かきだしてとまらなくなります。 その光景は一日に何回も... 心に余裕のあるときは手を変え… -
嫌いだった母親の本音を知って – 『親からの贈り物』に感謝!毎日が誕生日プレゼント?
私の母は、私が子供の頃から家を留守にしていることが多く、自分の理想とする母親像からはかけ離れた想いで、私は母をみつめ続けていました 友だちの母親と比較しては、不満の心をどんどんと膨らませながら成長しました … -
戦後生まれで贅沢な食生活でなくても健康なカラダに!私たちを支えてくれた「思い出の『母の味(おふくろの味)』」
今の時代は、春夏秋冬に関係なく食材があふれ、和洋中やイタリアン等々、食べたい物がいつでも家庭で食べられる時代です。 なんと幸福でありがたいことでしょうか。 私は戦後生まれで田舎育ちですから、野菜はいっぱい… -
最高の人生の歩み方はやっぱり『日々の種まき』だった!ウチの”思い出8人家族奮闘記” 〜鬼1000匹は福の神?〜
『ただいま❗お母さん暑いよ〜アイス買って❗』 と、汗びっしょりで帰った子供たちが大声で叫んでいる 『おかえり❗暑かったでしょう、さぁさぁ手足顔を洗いましょう』 と、2人の背を押してお風呂場へ直行 ザー… -
毎日が『人生の思い出づくり?』− 母の思い出の美味しい料理『一銭洋食』を家族で試食してみたら…
私が物心ついた時、青っぽい1円札が流通していた記憶はかろうじてあるのですが、『銭』と言う補助貨幣はもうありませんでした だから、当時20歳代の母が『小さい時に食べた一銭洋食はおいしかったなぁ。 一夫のおっちゃ… -
【母の思い出の手料理 part④】家族にも、おもてない精神を!愛情深い心のこもったおふくろの味
寒い日々が続きますが、2月になると春の足音を感じる節分や故郷のお祭りが懐かしく思い出されます そして、母の作る数々の料理が脳裏に浮かびます 母が亡くなって40年近く経ちますが、まるで昨日のことのようです … -
【愛のこもったお母さんの思い出の手料理 Part③】母こだわりのじゃがいもスープ
今回紹介する料理は、母が腕を振るう時に、こだわりを持って作る料理です みんなが集まった時や、母こだわりのベーコンが手に入ったときに、よく作ってくれます それでは、レシピをご紹介します じゃがいもスープの… -
【お母さんの思い出の手料理 Part②】母の手料理
『お母さんの体は大きいから、大きくなっちゃうのよね』と、母が話ながら、いつも作ってくれていた料理があります その手料理が私はとても好きで、今でも実家に行くとなんだかんだ心待ちにしている時もあります それは『ハ… -
【お母さんの思い出の手料理 Part①】いつまでも思い出に残るお弁当
はじめに 【母の手料理】 母が作ってくれた思い出の手料理 あるいは今でも作ってくれるなじみの料理 また、家族が揃った時には欠かせない腕によりをかけてくれるご馳走(母の十八番) そんな、忘…